蕎麦の歴史

ソバ(蕎麦)はタデ科の一年草です。世界で栽培されているところを挙げますと、アジア内陸部、ヨーロッパ各地、南ヨーロッパの山岳地帯、南北アメリカなど等が挙げられます。原産地は、東アジア北部アムール州の上流沿岸から中国北東部にわたる一帯とされてきましたが、最近の説では中国西南部山岳地帯の雲貴高原(雲南省)だと言う説が有力になっているみたいです。日本への伝来は色んな諸説が多々あり、

①朝鮮半島から対馬
②シベリアから北日本
③中国から九州等 が主なルートとして考えられています。

しかし、原産地が中国西南部山岳地帯の雲貴高原(雲南省)であれば、稲(米)の伝来と同じルートを辿ったのではないかとも推測できます。いずれにしても日本への伝来はかなり古く、遥か縄文時代には既に栽培が始まっていたことが、埼玉県岩槻市の真福寺泥炭層遺跡(BC900年~500年)から、ソバ(蕎麦)の種子が出土したことで確実視されております。

また、最近の研究の成果では高知県佐川町の地層から見つかったソバ(蕎麦)の花粉から、縄文時代草創期(約9300年前)にはもう既に、ソバ(蕎麦)が栽培されていたのではないかと推定されています。

「続日本紀」に、元正天皇の「勧農の詔(みことのり)」(養老6年)に、救荒作物としてその植え付けを勧めている記録がありますので、この頃にはソバ(蕎麦)の栽培が始まっていた確実な証拠となります。また文献上「続日本書紀」はソバ(蕎麦)に関する記述では最古のものとなります。

しかし、ソバ(蕎麦)が縄文時代から栽培されていたにも関わらず、食料として余り発展しなかった理由としては、栽培して収穫した玄蕎麦からそば粉への製粉が難しかったのではないかと思われます。当時の(縄文時代)の摺り臼では甚だ効率が低く、多くの時間と労力を必要とし、日々の食事の糧としては敬遠されたのだと考えられます。同じ理由から小麦もまた余り利用されることが無かったようです。

ところが歴史は進み、鎌倉時代(1241年)に入ると、宋から帰国した聖一国師が、水車を利用した碾き臼の技術を持ち帰ったところ、 日本における製粉技術は著しく進歩し、食料としてのソバ(蕎麦)は急速に普及したものと思われます。