蕎麦切り(そばきり)

蕎麦が現在のような麺の形で食べられるようになったのは意外と新しく、江戸時代も中期以降になってからのことらしいです。それまでの蕎麦は蕎麦粉だけの生粉打ちだったと考えられ、現在でいう小麦粉などをあわせたつなぎを思いつかなかった為に、ボソボソ状態で麺線に加工、成形することが難しかったらしいそうです。

寛永年間(1624~1644年)に朝鮮の僧侶が、小麦粉をつなぎに使う方法を南都東大寺に伝えるまで、蕎麦錬りや蕎麦団子として味わう以外に手段はなかったようです。実際に江戸初期の寛永20年(1643年)の「料理物語」や、焼鳥の料理法が掲載されている最古の書籍として有名な、元禄2年(1689年)の「合類日用料理指南抄」には、このボソボソの蕎麦を上手に麺線に加工する方法として、おも湯や豆腐をすり潰したものをつなぎとして混ぜ合わせたり、蕎麦粉の一部を熱湯で糊化させたものを全体に混ぜ合わせる等々が紹介されています。

蕎麦切り誕生以前から素麺やうどんが有ったにもかかわらず、何故か小麦粉は蕎麦には使われませんでした。しかし、その後小麦粉を使う方法が周知された後も、小麦が高価であったことや、収穫が困難であった地域では、卵や山芋(自然薯)、ワラビ粉、豆汁、大豆粉等々と、様々な手段でボソボソの蕎麦をつないでいます。

この各地方でのつなぎへの違いが全国の地方の伝統の味として残されているのも、長い蕎麦の歴史のなかで生まれた日本の食文化だと言えますね。