そば粉のガレット(フランス語: galette)

ガレット(galette)は、フランス北西部の郷土料理である料理名称。フランスのブルターニュ地方やノルマンディ地方に見られる、蕎麦粉を使ったクレープみたいな食べ物のことで、チーズやハムやタマゴなどを包んで食べる料理のことを言う。元々は「平たく丸く焼いたもの」全般をガレットと呼んでいた。熱したフライパンなどに、そば粉・水・塩を混ぜた生地をクレープのように薄く伸ばし、正方形に折りたたんで完成となる。生ハムなどの肉類、魚介類、チーズ、タマゴをのせ、サラダなどを添えて食べます。

蕎麦の歴史

ソバ(蕎麦)はタデ科の一年草です。世界で栽培されているところを挙げますと、アジア内陸部、ヨーロッパ各地、南ヨーロッパの山岳地帯、南北アメリカなど等が挙げられます。原産地は、東アジア北部アムール州の上流沿岸から中国北東部にわたる一帯とされてきましたが、最近の説では中国西南部山岳地帯の雲貴高原(雲南省)だと言う説が有力になっているみたいです。日本への伝来は色んな諸説が多々あり、

①朝鮮半島から対馬
②シベリアから北日本
③中国から九州等 が主なルートとして考えられています。

しかし、原産地が中国西南部山岳地帯の雲貴高原(雲南省)であれば、稲(米)の伝来と同じルートを辿ったのではないかとも推測できます。いずれにしても日本への伝来はかなり古く、遥か縄文時代には既に栽培が始まっていたことが、埼玉県岩槻市の真福寺泥炭層遺跡(BC900年~500年)から、ソバ(蕎麦)の種子が出土したことで確実視されております。

また、最近の研究の成果では高知県佐川町の地層から見つかったソバ(蕎麦)の花粉から、縄文時代草創期(約9300年前)にはもう既に、ソバ(蕎麦)が栽培されていたのではないかと推定されています。

「続日本紀」に、元正天皇の「勧農の詔(みことのり)」(養老6年)に、救荒作物としてその植え付けを勧めている記録がありますので、この頃にはソバ(蕎麦)の栽培が始まっていた確実な証拠となります。また文献上「続日本書紀」はソバ(蕎麦)に関する記述では最古のものとなります。

しかし、ソバ(蕎麦)が縄文時代から栽培されていたにも関わらず、食料として余り発展しなかった理由としては、栽培して収穫した玄蕎麦からそば粉への製粉が難しかったのではないかと思われます。当時の(縄文時代)の摺り臼では甚だ効率が低く、多くの時間と労力を必要とし、日々の食事の糧としては敬遠されたのだと考えられます。同じ理由から小麦もまた余り利用されることが無かったようです。

ところが歴史は進み、鎌倉時代(1241年)に入ると、宋から帰国した聖一国師が、水車を利用した碾き臼の技術を持ち帰ったところ、 日本における製粉技術は著しく進歩し、食料としてのソバ(蕎麦)は急速に普及したものと思われます。

蕎麦切り(そばきり)

蕎麦が現在のような麺の形で食べられるようになったのは意外と新しく、江戸時代も中期以降になってからのことらしいです。それまでの蕎麦は蕎麦粉だけの生粉打ちだったと考えられ、現在でいう小麦粉などをあわせたつなぎを思いつかなかった為に、ボソボソ状態で麺線に加工、成形することが難しかったらしいそうです。

寛永年間(1624~1644年)に朝鮮の僧侶が、小麦粉をつなぎに使う方法を南都東大寺に伝えるまで、蕎麦錬りや蕎麦団子として味わう以外に手段はなかったようです。実際に江戸初期の寛永20年(1643年)の「料理物語」や、焼鳥の料理法が掲載されている最古の書籍として有名な、元禄2年(1689年)の「合類日用料理指南抄」には、このボソボソの蕎麦を上手に麺線に加工する方法として、おも湯や豆腐をすり潰したものをつなぎとして混ぜ合わせたり、蕎麦粉の一部を熱湯で糊化させたものを全体に混ぜ合わせる等々が紹介されています。

蕎麦切り誕生以前から素麺やうどんが有ったにもかかわらず、何故か小麦粉は蕎麦には使われませんでした。しかし、その後小麦粉を使う方法が周知された後も、小麦が高価であったことや、収穫が困難であった地域では、卵や山芋(自然薯)、ワラビ粉、豆汁、大豆粉等々と、様々な手段でボソボソの蕎麦をつないでいます。

この各地方でのつなぎへの違いが全国の地方の伝統の味として残されているのも、長い蕎麦の歴史のなかで生まれた日本の食文化だと言えますね。

二八そば(にはちそば)

現在でも当たり前のように使われる二八そばという言葉は、はるかはるか昔の江戸時代に出現したらしいのですが、その江戸時代にはすでに二八そばの語源が分らなくなってしまったらしいです。それ以降、現在に至るまでいまだに結論が出ていないというなんとも不思議な言葉です。江戸時代から現在に至るまでに議論されてきた語源説をみると、

①「掛け算の九九から十六文価格説」
②「そば粉の配合割合説」などが上げられ、いずれの説もも単純な分かりやすい説明になっております。

①「掛け算の九九から十六文価格説」十六文のそばを二八(ニハチ)と洒落た九九説ですが、それ自体にかなり説得力があってわかりやすいのですが、そばの値段が十六文であったのは江戸の後期の70年から80年間だけだったようです。それ以前の六文とか八文や十二文など等の物価と共に移り変わっていくことを考えると、その時間経過の中で出現してきた言葉の説明には少しばかり無理があるように感じます。

②「そば粉の配合割合説」そば粉の配合割合説について考えてみますと、この時代において日常の食べ物などを調合する過程で、経験や勘による大まかな配合が優先されていた時代だったらしく、粉の分量や配合などはかなり大まかだったらしいです。また二八そばだけでなく二六そばも出現しているようです。そして小麦粉と食塩水だけが原料のうどんでも二八うどん・二六うどんなどがあって、配合比率ではとても説明することのできない矛盾が発生してしまいます。現在ではそば粉8割につなぎ2割の配合によるそばは「そばの黄金の配合比率」といわれており、つなぎ粉を2割加えることでそば本来の風味を保ちつつ、しかものど越しのよいそばに仕上げることができるために当たり前のように使われている言葉ですね。

このように二八そばの語源についてはこれらいずれの説をもってしても、納得のいく説明にはなり得ないみたいですね。しかもそれ以外でも説得力のある説は現在まで見つかってもいないみたいです。

かけそばともりそば

「かけそば」の元々の語源は「ぶっかけそば」であるそうです。そば切りといえば別の器に入れたつゆにつけて食べるのが当たり前でしたが、元禄の頃でしょうか?それでは「面倒だ!」と、そばに汁をぶっかけて食すスタイルができました。まさしく、もっと簡単に「蕎麦を食べたい」という江戸っ子気質からできたメニューともいえます。

この食べ方を「ぶっかけそば」と呼ばれました。忙しい人足たちが立ったまま食べられるように冷やかけにして出されていました。この「ぶっかけそば」が「ぶっかけ」になり、さらにぶっが省略され「かけ」になりました。当初の「かけ」は冷たいそばに冷たいつゆをかけるだけでしたが、しばらくすると、寒い冬には温めたつゆをかけるようになったみたいで、当時の女性達にも人気の食べ物だったようです。ところが「かけ」が流行るにつれ従来の食べ方を、「かけ」と区別するために別な呼び名が生まれました。

そこで、そばをつゆにつけて食べるそばを新たに「もり」と呼ぶようになりました。「もり」とは、そばを高く盛りあげる形から生まれた呼び名ですが、その盛りつける器から「せいろ」「皿そば」など等、店によって盛り付ける器の名前が転じて呼ばれるようにもなったそうです。このあたりから、「もり」と「かけ」という江戸そばの基本形が確立したともいえます。

生蕎麦(きそば)

生蕎麦は、誤読が多いのですが「なまそば」ではなく「きそば」と読みます。生蕎麦の意味はいったいどこからきているのでしょうか?本来の意味は、つなきをまったく使わないで、そば粉だけで打ったそば(生粉打ちそば)のことであるようです。

なぜこのような言葉が生まれたのかという理由と言うと、江戸時代中期以降になりますと、つなぎ粉として小麦粉を使うようになります。当初では、麺のつながりをよくするために、用いられていた小麦粉の量が徐々に増えていくことから、そばの品質の低下をまねきます。次第に二八そばという名が、粗悪なそばの代名詞になってしまいました。

このことから蕎麦の格の違いを強調するために「生蕎麦」や「手打ち」を看板に掲げるようになったそうです。ところが、幕末の時代の頃になると、二八そばまでもが「生蕎麦」や「手打ち」を看板にするようになったため、その区別が なくなったしまいました。現在では、「生蕎麦」などと暖簾に書かれているのはそのなごりであって生粉打ちそばの意味でありません。

世界の蕎麦料理

イタリア
イタリアの代表的な料理といえば、パスタやトマトソースがまずあげられます。イタリアとそばの関係は、歴史的にとても古く、12世紀に十字軍がイスラム圏からそば粉を持ち帰ったことから、そば料理が始まったといわれています。 しかし、小麦粉の普及が進むにつれて、今日ではそばから小麦粉へと料理材料が切り換わってしまいましたが、そば粉とじゃがいものニョッキを始め、かつては一般家庭の食卓に並べられていたそうです。 このように、イタリアではその影を潜めつつあるそばであるが、地方では、今でも家庭料理の食材として用いられるところもあるそうです。

フランス
日本でも人気のクレープ。その発祥国として、専門店が数多く建ち並ぶフランスですが、その発祥地は、フランス北西部の英仏海峡に突出したブルターニュ地方といわれています。農作業を行うには貧しすぎる土壌であったこの地で、栽培可能だったのが、ライ麦、そしてサラザンというそばだったそうです。そして、そばの最善の食法として生み出されたのが、そば粉で作るクレープでした。 小麦粉が普及されるにつれ、主食の座はパンに移行しました。現在、小麦粉で作られるデザート用のものをクレープといい、そば粉で作った料理を包むものをガレットというように分けられているようです。

ロシア
そばの総生産量世界第1位に君臨するのは実はこの地域です。そばは寒冷な気候のやせた土地でもよく生育するので、ロシア、ウクライナなどで古くから栽培されているそうです。

中国
そばのルーツである雲南省などの北部地域では、麺やギョウザやワンタンの皮、まんじゅうなどに用いられています。また、そば粉から酒、醤油、酢なども作られています。内蒙古では、我が国と同じようなそば切り的な作り方をはじめ、様々な調理法により、日々の家庭で食されています。

一鉢・二延ばし・三包丁

そば打ちは、一鉢・二延ばし・三包丁、または包丁3日・延ばし3月・木鉢3年といわれています。この言葉はそばの手打ち技術のポイントとして、古くから伝えられている言葉であります。

鉢とは木鉢の作業のことです。つまり木鉢でそば粉とつなぎ粉と水を混ぜ合わせてまとめて玉にすることです。延しは麺棒で薄く延ばすこと。包丁は延したそば生地を包丁で切ることです。

もちろんのことですが、そばの手打ちの作業はこの順に行われますが、この作業の順番のことではありません。手打ちそばの工程を大きく三つに分けた時に、技術をマスターすることがむずかしい番から一、二、三と並べたものであります。また、難易度をより強調するために、包丁三日、延し三月、木鉢三年という表現を使ってもいるそうです。

そばの出来栄えのよし悪しに大きく作用するのが最初の木鉢での仕事の出来であると言われております。まず、そば粉に水を均等に結びつけることが必要で、そば粉自体が持っているつながる力(粘り)を引き出す。また、切れにくい生地にするには、玉をなめらかに仕上げることも大切です。手打ちそばといえば、リズミカルに蕎麦を切っていく、包丁の手さばきも鮮やかで見ていて楽しいですね。あれよあれよとそば玉が大きく延びていく、延しの作業も見ていて迫力があります。それに対して木鉢の作業は一見地味だが、最も難易度が高く、習得には時間と経験が必要ということが分ります。

そばの三たて(さんたて)

そばの三たてとは、うまいそばの三条件として使われてきた言葉で、三つのたてとは、「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の事です。この三つが大事で美味しい蕎麦をいただくための条件であります。

挽きたて
言葉からも解かるように製粉したばかりの蕎麦粉を使うという意味です。蕎麦粉は香りや味の劣化が非常にはやいので、挽きたての蕎麦粉を使うのが美味しい蕎麦にするための最初の条件になります。

打ちたて
当然のことながら、打ちたての蕎麦のことです。打ってからあまり長く時間がたってしまうと、味、香りともに落ちてしまいます。打ちたてというからには、蕎麦を打ってからすぐに茹でればいいのですが、これには少しばかり問題があります。お蕎麦屋さんにあります蕎麦を茹でる蕎麦釜は、茹でる時に蕎麦が釜の湯の中でうまく対流するようになっています。しかし、打ったばかりの蕎麦は、まだ蕎麦粉と水が十分に馴染んでいないために、湯に入れた蕎麦が浮いてきてしまい、釜の中でうまく対流しません。打ちたてとありますが、実際は蕎麦を打ってから少し時間を置いたほうが良いみたいです。

茹でたて
茹でた蕎麦は早く食べないとすぐにのびてしまいます。茹で上がりをすばやく水ですすいで、麺のぬめりをとり、素早く水を切ってすぐにと食べます。もう一つ大事なことがあります。すすいだあとに麺についた水をよく切ることです。ざるから水がしたたっているようではいけません。以上がそばの三たて(さんたて)といいます。

ずる玉ときらず玉

ずる玉とは、水回しの時にうっかり水を入れ過ぎてしまうことにより、少々やわらか過ぎるものができてしまいます。そうしますと伸ばすのに力がいらず、延しの作業中にすぐに広がりますので、楽だとばかりに打ち粉をたっぷり打って蕎麦にしてしまう。しっかりともみこまれていないので、ちぢれて腰の立たない歯切れが悪くなってしまいます。このようなものをずる玉といいました。

きらず玉とはずる玉を通り越して、もっと水分が多くなりすぎますと、今度はベタついてあっちこっちにくっつきます。これではいくら打ち粉を打っても蕎麦にならないため、後から粉を足し固さだけを普通にしたものをいいます。たっぷり水を吸って溶けた状態の中に、乾いた粉を混ぜても、後から加えた粉には水分がしみ込みません。つまり、伸ばした時に粘りの無い部分がちらばり、そこから穴が開くか、何とか伸ばせても切られて細くなると、そこがキズになり折れて「箸にも棒にもかからない」ものにしかならないので、切らずに捨ててしまったことから名づけられたそうです。