蕎麦の雑学
○○蕎麦(色んな種類のお蕎麦集)
年越し(としこし)蕎麦
年越しそばとは、大晦日(12月31日)に縁起をかついで蕎麦を食べる習慣のことで年末の日本の風物詩でもあります。さて、年越しそばの由来や意味にはどんな想いが込められているのでしょうか?
年越しそばに込められた意味 蕎麦(そば)は長く伸ばして細く切って作る食べ物なので、細く長くということから健康長寿・家運長命などの縁起をかついで食べるようになったという説が一般的です。案外皆さんもこの説をよく耳にするのではないでしょうか?
他にも色んな説があるようです。そばは風雨にやられても、その後のお天気で日光を浴びると元気になることから健康の縁起を担ぐ説。
蕎麦が切れやすいことから、一年間の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという説。年末に家族そろって食べることが多いことから末長く、そばにいたいからという説もあります。
その他にも色んな説があるようですが、御利益の真偽はともかく、家族全員で年越しそばを食べながら、旧年の出来事を想い無事に新しい年を迎えられることを大切にしたいものです。
年越しそばの歴史 元々、江戸時代中期には月の末日に蕎麦を食べる三十日蕎麦(みそかそば)という習慣があり、 大晦日のみにその習慣が残ったものが年越しそばと考えられています。
年越し蕎麦はいつ食べるの? 年越しそばと言えば、一般的に大晦日(12月31日)に食べるのが普通だと思っておりましたが、地方によっては、大晦日ではなく元旦(1月1日)に蕎麦を食べる地方もあるそうです。やはり地方によっていろいろな風習があるようですね。
引越し(ひっこし)そば
引越しそばというのは年越しそば同様に耳慣れた言葉ではありますが、最近ではこの風習も少なくなってきたように感じます。現在は引越しの挨拶としてご近所様に配るのであれば、やはりお蕎麦よりもお菓子やタオル等ではないでしょうか?
もともと引越しそばは、年越しそば同様、江戸時代中期から江戸を中心に行われるようになった風習だそうです。蕎麦(そば)に越してきたことに引っかけて、おそばに末長く、あるいは、細く長くお付き合いをよろしくとの江戸っ子の洒落が込められています。
それまでは小豆を使った粥やお餅を配っていたようですが、それではちょっとした挨拶なのに高すぎない?という思いと、もっと簡単に挨拶を済ませたい?という考えから、当時は安価だったそばに白羽の矢がたったようです。当時は、隣近所(長屋の場合はいわゆる「向こう三軒両隣」の5軒)及び大家さんに配ったそうです。
雛(ひな)そば
雛そばとは、3月3日の桃の節句、又は翌日の4日に雛壇に供える節句そばです。お雛様と来年までのお別れを告げるためとか、お雛様の引越しだからと雛壇に清めの蕎麦をそなえます。
雛壇に供えられていた蕎麦は初めは普通の”二八そば”でしたが、時代とともに変化して、「三色そば」や「五色そば」という、かわりそばが供えられるようになっていったそうです。
ところで変わりそばというのは、さらしな粉という白いそば粉に、食品を混ぜて彩りや風味をつけたそばのことです。たとえば抹茶をまぜた茶そばなどはおなじみだと思います。その他にも、抹茶、よもぎ、あおのり、えび、べにばな、たまご、くちなし、鬱金、黒ごま、海苔、昆布など等、色とりどりのお蕎麦がどれも綺麗で美味しそうですね。
なお、余談ですが雛そばの場合はあくまで3月3日と3が重なる(重三)縁起から、三色そばが本来のあり方ともいわれております。
討ち入り(うちいり)蕎麦
討ち入り蕎麦とは、巷の説によりますと、忠臣蔵の赤穂浪士大石良雄らが討入りの前にそばを食べたといわれています。元禄十五年(一七〇二)の十二月十五日に、吉良義央(きらよしなか)を討って首尾よく本懐をとげたが、その前夜、そば屋楠屋十兵衛またはうどん屋九兵衛の二階で勢揃いし、縁起を祝って手打ちそばやうどんを食べたということになっています。これにちなみ、十四日の義士祭にはそば供養を行なうしきたりがあるそうです。
彼岸(ひがん)そば
旧暦では立春は二月上旬、立秋は八月上旬です。新暦の感覚からすると本当の季節の変わり目は、春と秋のお彼岸のころとなります。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉がまさにぴったりです。
彼岸とは、春分、秋分(24節気の節気ひとつで、昼と夜の長さが等しい日)を中日として、その前後7日間のことをいいます。季節の変わり目であるお彼岸は体調を崩しやすいので、特に体に気をつけようということから、春と秋のお彼岸には消化のよいうどん・そばで胃腸を整え、体調を万全にする習慣が彼岸そばです。
繊維質やミネラルの多いそばが「五蔵六腑の汚れを清める」、「蕎麦を食べて体を清め、先祖を迎える」という言い伝えにつながり、彼岸そばとして生活の節目に欠かせないものになっています。
郷土(きょうど)そば
日本には各地に昔から行われてきたその地方独特の蕎麦の食べ方があります。さて、どのような郷土そばがあるのでしょうか?
青森県(津軽そば)
つなぎに大豆を用いるのが特徴の貴重な郷土そばですが、作り方が面倒なため、次第に作られることが少なくなり、今ではめったにお目にかかれない幻のそばと呼ばれるようです。この津軽そばは驚くことに茹で置きが一般的なんだそうで、そばを茹でてから半日以上寝かせるんだそうです。作り方ですが、そば粉でそばがきを作り、それを一晩おきます。こんどはこれにそば粉と大豆の粉をあわせたものを混ぜこれを捏ねて、そば玉を作ります。そして、製麺してまた一晩おきます。先ほど書きましたように、茹でてからも茹で置きするので、津軽そばを作るのに3日もかかるそうです。つなぎに大豆を使う理由は、津軽地方では小麦があまり採れなかったため、かわりに豊富にあった大豆を使ったようです。つなぎに大豆を使うとほろほろとした柔らかい優しい麺になるそうです。岩手県(わんこそば)
わんこそばの歴史は、約380年程の昔にさかのぼります。南部家第27世利直公が江戸に上られる途中、花巻にお立ち寄りになられたおり、旅のつれづれをなぐさめようと郷土名産のそばを差し上げたところ、利直公はその風味をたいへんお気に召され何度もおかわりをされたと伝えられ、その際にですが、そばを上品に椀に盛って差し上げたところから、わんこそばと称されるようになったといわれております。丼ではなく、お椀で食べるところからこの名前がついたのですが、岩手県の方言の特徴として名詞の最後に“コ”をつけることが挙げられます。新潟県(へぎそば)
へぎそばとは、ふのりという海草をつなぎに使ったそばです。このそばの特徴はつるつるしこしこした食感であることです。「へぎ」という器に盛られて、「へぎそば」という名が付きました。「へぎ」とは、幅30センチ長さ50センチ程の大きなせいろの様な器で、そばを一口程度に丸めたものをへぎに約30個程もりつけ、3~4人でそれを囲んでたべます。また、ゆでたそばを手を振りながら、水から揚げ、へぎに盛りつける特有の動作から、「手振りそば」とも呼ばれているそうです。福井県(越前おろしそば)
越前おろしそばという名前は平成2年に福井県の特産品として一つのブランド名で認定されています。そばに大根おろしを添えたシンプルな料理ですが、その味は奥深く、最近では長寿食としても注目されています。慶長6年(約410年前)本多富正公が京都の伏見から、府中(現在の越前市)城主として国替えの際、金子権左エ門という“そば師”を連れてきました。そしてそばの栽培を奨励し、非常食として公自身も非常にそばを好み、現在の様なそば切りにして大根おろしをかけて食べたと言い伝えられており、これが“越前おろしそば”のはじまりといわれております。さらに福井のおろしそばが越前おろしそばとして全国に広まったのは、昭和22年10月、昭和天皇が福井に来られた際、2杯ものおろしそばを召し上がられました。その後、皇居に戻られた後、召し上がられたおろしそばを懐かしみがられ、「越前のそばは大変おいしかった」というお言葉に由来しています。兵庫県(皿そば)
出石皿そばは、宝永三年(1706年)に信州上田から国替えになった、仙石氏により伝来したといわれているそうです。在来のそばに信州の手法を加えており、出石焼の小皿を使い特色ある出石皿そばの様式が生まれました。現在は割り子そばの形態をとっており、この形式となったのは幕末の頃で、屋台で供される際に持ち運びが便利な手塩皿(てしょうざら)に蕎麦を盛って提供したことに始ったそうです。店舗では通常1人前5皿で供される。1皿に盛られた蕎麦の量は2~3口程度で食べれるそうです。徳利に入ったダシと、薬味として刻みネギ・おろし大根・おろしワサビ・トロロ・生鶏卵1個などが出されます。蕎麦を盛る小皿は出石焼で各店舗オリジナルの絵付けがされており、各店の皿を見るのも楽しみ方の一つですね。田舎(いなか)蕎麦
田舎蕎麦とは一体どんなお蕎麦のことを指すのでしょうか?その特徴を外見的なものからあらわしてみますと、蕎麦が黒っぽく太めの姿形をしているといえます。色が黒いのは、甘皮を一緒に挽いた挽きぐるみを使っているからとか、甘皮どころか堅い蕎麦殻を一緒に挽き込んでいるからだとか、様々な見解がありますがはっきりとした基準はありません。
しかし共通していえるのは、やはり一見して蕎麦が黒っぽくて太いものが田舎蕎麦といえることです。これは江戸蕎麦の細い白っぽいお蕎麦から対極にあるものを、田舎の蕎麦として意識するからではないでしょうか。また長さの短いものが多いために、啜りあげて食べなければならないもりやざるよりも、かけや煮込みなどにして食べることが多いように思われます。これもまた田舎蕎麦の特徴といえます。
南蛮(なんばん)蕎麦
お蕎麦屋さんでは、冷たいお蕎麦、温かいお蕎麦、色々なメニューがありますが、よく〇〇南蛮といわれるものがあります。寒い季節にぴったりの鴨南蛮、カレー南蛮などがよく知られております。
ところで、このお蕎麦屋メニューの南蛮とは、どういう意味なのでしょうか?実はお蕎麦屋さんにおける南蛮とは、ねぎのことを言います。室町時代末期から江戸時代にかけて、インドシナをはじめとする南海諸国を南蛮と呼んでおりました。そこから来る人や物も南蛮と呼んでいたそうです。
南蛮人はネギを好んでよく食べていたことから、ネギのことを南蛮と呼ぶようになり、そして、ネギの入った料理も〇〇南蛮と呼ぶようになったという説があります。
そして、もうひとつですが、昔の大阪のミナミ(灘波地区)ではねぎの収穫が豊富で、蕎麦などを食べるときにはねぎをたっぷりと乗せていたそうです。このねぎ蕎麦のことを「ナンバ蕎麦」と呼んでいたそうで、ナンバ蕎麦→南蛮蕎麦となっていったという説もあるそうです。
たぬきときつね
大きな油揚げがのったそばを食べるには、大阪では「たぬき」、関東では「きつね」と注文しないと通じません。この違いは割に知られているが、なぜそうなったかは謎です。同じ関西でも大阪と京都の「たぬき」はまた違うらしいそうです。一体どうして「きつね」と「たぬき」はどこで化けたのでしょうか。
一般に関東では油揚げがのったそばやうどんを「きつね」、天かすのせを「たぬき」と呼びます。その一方、大阪で「きつね」といえば油揚げのうどんだけを指し、「たぬき」は油揚げののったそばになります。きつねそば、たぬきうどんはあまり見かけません。
実はきつねうどんの発祥は大阪にあるとされます。船場にある1893年(明治26年)創業の、松葉屋さんが発祥といわれております。最初は「こんこんうどん」と呼んでいたようです。いなりずしをヒントにして、かけうどんと皿にのせた油揚げを、別々に出したのが始まりだったらしいそうです。そのうちにお客さんが油揚げをうどんに直接のせて食べるようになりました。そうしていつの間にかきつねうどんと呼ばれるようになり、日本全国に広がっていったとみられます。
次は「たぬき」ですが、「たぬき」が生まれたのは江戸時代の終わり、関西より関東の方が先だったようです。最初はイカのかき揚げをそばにのせていたようですが、関東ではごま油で揚げるので衣が黒っぽくなります。その茶色がかった濃い色がたぬきを連想させ、それが名前の由来になったらしいそうです。
ところが、関東発のたぬきそばなぜか関西で広まりませんでした。江戸後期には関西でもそばが多く食べられていたのに不思議なことです。そのうち「きつね」がうどんなら、「たぬき」はそばのことだろう。との発想で、油揚げがのったそばを「たぬき」と呼ぶようになった、とする説が根強いです。
にしん蕎麦
おばんざいで有名な京都はうどん文化圏?と、思われる方も多いと思いますが、京都の商家では毎月お金が集まるようにと、きわの日(今でいう月末)にそばを食べたそうです。このことから、うどんと同様そばも昔から京の生活に、しっかりと根づいていたことが分ります。
おばんざいとは日常のおかずのことをいいます。京都では、新鮮な魚介が手に入りにくかったことから、生ものよりも煮物などの料理が主流とされていたみたいです。京都を代表する食べ物(お蕎麦)に、このおばんざいとそばを組み合わせたにしんそばがあります。
これは、文久年間創業の京都のそば屋「松葉」の初代、松野与衛門が考案したといわれております。身欠きにしんや棒だらも海を持たない京の都にもたらされた、貴重な魚類の保存食であり動物性タンパク質でありました。その棒だらを京芋と組み合わせたのが「いもぼう」であり、身欠きにしんにそばを組み合わせたにしんそばになります。
おかめそば
おかめそばは、幕末の頃江戸下谷七軒町にあった「太田庵」が考案したといわれております。名前の由来は、具の並べ方がおかめの面を連想させるところからきています。
基本的な具の並べ方は、まず湯葉を蝶型に結んで丼の上部に置きます。これは、娘の髪をかたどるとする説と、両眼に見立てるという説とがあります。鼻はマツタケの薄切りか、三ツ葉を真ん中に置いてなぞらえます。そしてかまぼこを2枚を向かい合わせて並べ、下に向かって開くように置いて、おかめの頬のように下ぶくれの形にします。
江戸らしい洒落っ気が粋なそばでした。また、おかめそばは、お多福とも呼ばれ縁起がよいため、かつては酉の市などでも好まれていたそうです。
韃靼(ダッタン)そば
韃靼ソバとはタデ科ソバ属の一年草。ソバと同属であるが、自殖性です。韃靼ソバを含むソバ属植物は、中国甘粛省からパキスタン北部まで分布しますが、韃靼ソバは四川省、雲南省、東チベット等の、境界付近で栽培化されたと考えられます。また、ネパール、チベット、中国南部、東北部などでは、食用や飼料用として栽培されているそうです。
種子の成分は普通ソバとほとんど違いがみられませんが、ルチン含有量は、なんと!ソバの約100倍で非常に多く含んでいます。しかし韃靼ソバの実にはルチン分解酵素も多く、粉への加水で急速に分解して苦み成分のケルセチンを生成します。この独特の苦みのために「ニガソバ」とも呼ばれています。ルチンを豊富に含む健康食品の韃靼ソバは、お茶あるいは麺類として加工、販売されています。
変り(かわり)蕎麦
変わり蕎麦とは、そば粉やつなぎ以外の材料を混ぜて打ったそばのことをいいます。ひき茶を混ぜる茶そば、すりおろしたゆずの皮を混ぜるゆず切りなどがある。江戸の中期に登場し、伝統的なものだけでも五十余種を数えます。
標準的なものとしては、鶏卵の黄身を混ぜたもの「らん切り」黒ごまの粉末をそば粉に練り込んだ変わりそば「ごま切り」抹茶をそば粉に練り込んだ「茶そば」桜海老の粉末をさらしな粉に練り込んだ「桜海老切り」等などあります。
その他にもその時その時の季節をたのしむ色んな変わりそばがあります。春には桃色が美しい「桜切り、青々とした香りがする「よもぎ切り」、夏にはさわやかな「しそ切り」や「笹切り」、秋には「菊切り」、冬には香りの高い「柚切り」や「みかん切り」、など実に様々な変わりそばがあります。季節ごとに風流な変わりそばを楽しむのも蕎麦打ちの楽しみです。
蕎麦うんちく(ちょっと知っておきたいうんちく集)
そば粉のガレット(フランス語: galette)
ガレット(galette)は、フランス北西部の郷土料理である料理名称。フランスのブルターニュ地方やノルマンディ地方に見られる、蕎麦粉を使ったクレープみたいな食べ物のことで、チーズやハムやタマゴなどを包んで食べる料理のことを言う。元々は「平たく丸く焼いたもの」全般をガレットと呼んでいた。熱したフライパンなどに、そば粉・水・塩を混ぜた生地をクレープのように薄く伸ばし、正方形に折りたたんで完成となる。生ハムなどの肉類、魚介類、チーズ、タマゴをのせ、サラダなどを添えて食べます。
蕎麦の歴史
ソバ(蕎麦)はタデ科の一年草です。世界で栽培されているところを挙げますと、アジア内陸部、ヨーロッパ各地、南ヨーロッパの山岳地帯、南北アメリカなど等が挙げられます。原産地は、東アジア北部アムール州の上流沿岸から中国北東部にわたる一帯とされてきましたが、最近の説では中国西南部山岳地帯の雲貴高原(雲南省)だと言う説が有力になっているみたいです。日本への伝来は色んな諸説が多々あり、
①朝鮮半島から対馬
②シベリアから北日本
③中国から九州等 が主なルートとして考えられています。しかし、原産地が中国西南部山岳地帯の雲貴高原(雲南省)であれば、稲(米)の伝来と同じルートを辿ったのではないかとも推測できます。いずれにしても日本への伝来はかなり古く、遥か縄文時代には既に栽培が始まっていたことが、埼玉県岩槻市の真福寺泥炭層遺跡(BC900年~500年)から、ソバ(蕎麦)の種子が出土したことで確実視されております。
また、最近の研究の成果では高知県佐川町の地層から見つかったソバ(蕎麦)の花粉から、縄文時代草創期(約9300年前)にはもう既に、ソバ(蕎麦)が栽培されていたのではないかと推定されています。
「続日本紀」に、元正天皇の「勧農の詔(みことのり)」(養老6年)に、救荒作物としてその植え付けを勧めている記録がありますので、この頃にはソバ(蕎麦)の栽培が始まっていた確実な証拠となります。また文献上「続日本書紀」はソバ(蕎麦)に関する記述では最古のものとなります。
しかし、ソバ(蕎麦)が縄文時代から栽培されていたにも関わらず、食料として余り発展しなかった理由としては、栽培して収穫した玄蕎麦からそば粉への製粉が難しかったのではないかと思われます。当時の(縄文時代)の摺り臼では甚だ効率が低く、多くの時間と労力を必要とし、日々の食事の糧としては敬遠されたのだと考えられます。同じ理由から小麦もまた余り利用されることが無かったようです。
ところが歴史は進み、鎌倉時代(1241年)に入ると、宋から帰国した聖一国師が、水車を利用した碾き臼の技術を持ち帰ったところ、 日本における製粉技術は著しく進歩し、食料としてのソバ(蕎麦)は急速に普及したものと思われます。
蕎麦切り(そばきり)
蕎麦が現在のような麺の形で食べられるようになったのは意外と新しく、江戸時代も中期以降になってからのことらしいです。それまでの蕎麦は蕎麦粉だけの生粉打ちだったと考えられ、現在でいう小麦粉などをあわせたつなぎを思いつかなかった為に、ボソボソ状態で麺線に加工、成形することが難しかったらしいそうです。
寛永年間(1624~1644年)に朝鮮の僧侶が、小麦粉をつなぎに使う方法を南都東大寺に伝えるまで、蕎麦錬りや蕎麦団子として味わう以外に手段はなかったようです。実際に江戸初期の寛永20年(1643年)の「料理物語」や、焼鳥の料理法が掲載されている最古の書籍として有名な、元禄2年(1689年)の「合類日用料理指南抄」には、このボソボソの蕎麦を上手に麺線に加工する方法として、おも湯や豆腐をすり潰したものをつなぎとして混ぜ合わせたり、蕎麦粉の一部を熱湯で糊化させたものを全体に混ぜ合わせる等々が紹介されています。
蕎麦切り誕生以前から素麺やうどんが有ったにもかかわらず、何故か小麦粉は蕎麦には使われませんでした。しかし、その後小麦粉を使う方法が周知された後も、小麦が高価であったことや、収穫が困難であった地域では、卵や山芋(自然薯)、ワラビ粉、豆汁、大豆粉等々と、様々な手段でボソボソの蕎麦をつないでいます。
この各地方でのつなぎへの違いが全国の地方の伝統の味として残されているのも、長い蕎麦の歴史のなかで生まれた日本の食文化だと言えますね。
二八そば(にはちそば)
現在でも当たり前のように使われる二八そばという言葉は、はるかはるか昔の江戸時代に出現したらしいのですが、その江戸時代にはすでに二八そばの語源が分らなくなってしまったらしいです。それ以降、現在に至るまでいまだに結論が出ていないというなんとも不思議な言葉です。江戸時代から現在に至るまでに議論されてきた語源説をみると、
①「掛け算の九九から十六文価格説」
②「そば粉の配合割合説」などが上げられ、いずれの説もも単純な分かりやすい説明になっております。①「掛け算の九九から十六文価格説」十六文のそばを二八(ニハチ)と洒落た九九説ですが、それ自体にかなり説得力があってわかりやすいのですが、そばの値段が十六文であったのは江戸の後期の70年から80年間だけだったようです。それ以前の六文とか八文や十二文など等の物価と共に移り変わっていくことを考えると、その時間経過の中で出現してきた言葉の説明には少しばかり無理があるように感じます。
②「そば粉の配合割合説」そば粉の配合割合説について考えてみますと、この時代において日常の食べ物などを調合する過程で、経験や勘による大まかな配合が優先されていた時代だったらしく、粉の分量や配合などはかなり大まかだったらしいです。また二八そばだけでなく二六そばも出現しているようです。そして小麦粉と食塩水だけが原料のうどんでも二八うどん・二六うどんなどがあって、配合比率ではとても説明することのできない矛盾が発生してしまいます。現在ではそば粉8割につなぎ2割の配合によるそばは「そばの黄金の配合比率」といわれており、つなぎ粉を2割加えることでそば本来の風味を保ちつつ、しかものど越しのよいそばに仕上げることができるために当たり前のように使われている言葉ですね。
このように二八そばの語源についてはこれらいずれの説をもってしても、納得のいく説明にはなり得ないみたいですね。しかもそれ以外でも説得力のある説は現在まで見つかってもいないみたいです。
かけそばともりそば
「かけそば」の元々の語源は「ぶっかけそば」であるそうです。そば切りといえば別の器に入れたつゆにつけて食べるのが当たり前でしたが、元禄の頃でしょうか?それでは「面倒だ!」と、そばに汁をぶっかけて食すスタイルができました。まさしく、もっと簡単に「蕎麦を食べたい」という江戸っ子気質からできたメニューともいえます。
この食べ方を「ぶっかけそば」と呼ばれました。忙しい人足たちが立ったまま食べられるように冷やかけにして出されていました。この「ぶっかけそば」が「ぶっかけ」になり、さらにぶっが省略され「かけ」になりました。当初の「かけ」は冷たいそばに冷たいつゆをかけるだけでしたが、しばらくすると、寒い冬には温めたつゆをかけるようになったみたいで、当時の女性達にも人気の食べ物だったようです。ところが「かけ」が流行るにつれ従来の食べ方を、「かけ」と区別するために別な呼び名が生まれました。
そこで、そばをつゆにつけて食べるそばを新たに「もり」と呼ぶようになりました。「もり」とは、そばを高く盛りあげる形から生まれた呼び名ですが、その盛りつける器から「せいろ」「皿そば」など等、店によって盛り付ける器の名前が転じて呼ばれるようにもなったそうです。このあたりから、「もり」と「かけ」という江戸そばの基本形が確立したともいえます。
生蕎麦(きそば)
生蕎麦は、誤読が多いのですが「なまそば」ではなく「きそば」と読みます。生蕎麦の意味はいったいどこからきているのでしょうか?本来の意味は、つなきをまったく使わないで、そば粉だけで打ったそば(生粉打ちそば)のことであるようです。
なぜこのような言葉が生まれたのかという理由と言うと、江戸時代中期以降になりますと、つなぎ粉として小麦粉を使うようになります。当初では、麺のつながりをよくするために、用いられていた小麦粉の量が徐々に増えていくことから、そばの品質の低下をまねきます。次第に二八そばという名が、粗悪なそばの代名詞になってしまいました。
このことから蕎麦の格の違いを強調するために「生蕎麦」や「手打ち」を看板に掲げるようになったそうです。ところが、幕末の時代の頃になると、二八そばまでもが「生蕎麦」や「手打ち」を看板にするようになったため、その区別が なくなったしまいました。現在では、「生蕎麦」などと暖簾に書かれているのはそのなごりであって生粉打ちそばの意味でありません。
世界の蕎麦料理
イタリア
イタリアの代表的な料理といえば、パスタやトマトソースがまずあげられます。イタリアとそばの関係は、歴史的にとても古く、12世紀に十字軍がイスラム圏からそば粉を持ち帰ったことから、そば料理が始まったといわれています。 しかし、小麦粉の普及が進むにつれて、今日ではそばから小麦粉へと料理材料が切り換わってしまいましたが、そば粉とじゃがいものニョッキを始め、かつては一般家庭の食卓に並べられていたそうです。 このように、イタリアではその影を潜めつつあるそばであるが、地方では、今でも家庭料理の食材として用いられるところもあるそうです。フランス
日本でも人気のクレープ。その発祥国として、専門店が数多く建ち並ぶフランスですが、その発祥地は、フランス北西部の英仏海峡に突出したブルターニュ地方といわれています。農作業を行うには貧しすぎる土壌であったこの地で、栽培可能だったのが、ライ麦、そしてサラザンというそばだったそうです。そして、そばの最善の食法として生み出されたのが、そば粉で作るクレープでした。 小麦粉が普及されるにつれ、主食の座はパンに移行しました。現在、小麦粉で作られるデザート用のものをクレープといい、そば粉で作った料理を包むものをガレットというように分けられているようです。ロシア
そばの総生産量世界第1位に君臨するのは実はこの地域です。そばは寒冷な気候のやせた土地でもよく生育するので、ロシア、ウクライナなどで古くから栽培されているそうです。中国
そばのルーツである雲南省などの北部地域では、麺やギョウザやワンタンの皮、まんじゅうなどに用いられています。また、そば粉から酒、醤油、酢なども作られています。内蒙古では、我が国と同じようなそば切り的な作り方をはじめ、様々な調理法により、日々の家庭で食されています。一鉢・二延ばし・三包丁
そば打ちは、一鉢・二延ばし・三包丁、または包丁3日・延ばし3月・木鉢3年といわれています。この言葉はそばの手打ち技術のポイントとして、古くから伝えられている言葉であります。
鉢とは木鉢の作業のことです。つまり木鉢でそば粉とつなぎ粉と水を混ぜ合わせてまとめて玉にすることです。延しは麺棒で薄く延ばすこと。包丁は延したそば生地を包丁で切ることです。
もちろんのことですが、そばの手打ちの作業はこの順に行われますが、この作業の順番のことではありません。手打ちそばの工程を大きく三つに分けた時に、技術をマスターすることがむずかしい番から一、二、三と並べたものであります。また、難易度をより強調するために、包丁三日、延し三月、木鉢三年という表現を使ってもいるそうです。
そばの出来栄えのよし悪しに大きく作用するのが最初の木鉢での仕事の出来であると言われております。まず、そば粉に水を均等に結びつけることが必要で、そば粉自体が持っているつながる力(粘り)を引き出す。また、切れにくい生地にするには、玉をなめらかに仕上げることも大切です。手打ちそばといえば、リズミカルに蕎麦を切っていく、包丁の手さばきも鮮やかで見ていて楽しいですね。あれよあれよとそば玉が大きく延びていく、延しの作業も見ていて迫力があります。それに対して木鉢の作業は一見地味だが、最も難易度が高く、習得には時間と経験が必要ということが分ります。
そばの三たて(さんたて)
そばの三たてとは、うまいそばの三条件として使われてきた言葉で、三つのたてとは、「挽きたて」「打ちたて」「茹でたて」の事です。この三つが大事で美味しい蕎麦をいただくための条件であります。
挽きたて
言葉からも解かるように製粉したばかりの蕎麦粉を使うという意味です。蕎麦粉は香りや味の劣化が非常にはやいので、挽きたての蕎麦粉を使うのが美味しい蕎麦にするための最初の条件になります。打ちたて
当然のことながら、打ちたての蕎麦のことです。打ってからあまり長く時間がたってしまうと、味、香りともに落ちてしまいます。打ちたてというからには、蕎麦を打ってからすぐに茹でればいいのですが、これには少しばかり問題があります。お蕎麦屋さんにあります蕎麦を茹でる蕎麦釜は、茹でる時に蕎麦が釜の湯の中でうまく対流するようになっています。しかし、打ったばかりの蕎麦は、まだ蕎麦粉と水が十分に馴染んでいないために、湯に入れた蕎麦が浮いてきてしまい、釜の中でうまく対流しません。打ちたてとありますが、実際は蕎麦を打ってから少し時間を置いたほうが良いみたいです。茹でたて
茹でた蕎麦は早く食べないとすぐにのびてしまいます。茹で上がりをすばやく水ですすいで、麺のぬめりをとり、素早く水を切ってすぐにと食べます。もう一つ大事なことがあります。すすいだあとに麺についた水をよく切ることです。ざるから水がしたたっているようではいけません。以上がそばの三たて(さんたて)といいます。ずる玉ときらず玉
ずる玉とは、水回しの時にうっかり水を入れ過ぎてしまうことにより、少々やわらか過ぎるものができてしまいます。そうしますと伸ばすのに力がいらず、延しの作業中にすぐに広がりますので、楽だとばかりに打ち粉をたっぷり打って蕎麦にしてしまう。しっかりともみこまれていないので、ちぢれて腰の立たない歯切れが悪くなってしまいます。このようなものをずる玉といいました。
きらず玉とはずる玉を通り越して、もっと水分が多くなりすぎますと、今度はベタついてあっちこっちにくっつきます。これではいくら打ち粉を打っても蕎麦にならないため、後から粉を足し固さだけを普通にしたものをいいます。たっぷり水を吸って溶けた状態の中に、乾いた粉を混ぜても、後から加えた粉には水分がしみ込みません。つまり、伸ばした時に粘りの無い部分がちらばり、そこから穴が開くか、何とか伸ばせても切られて細くなると、そこがキズになり折れて「箸にも棒にもかからない」ものにしかならないので、切らずに捨ててしまったことから名づけられたそうです。
木鉢下(きばちした)
木鉢下(きばちした)とは、本来は木鉢をすえる台になった丸桶のことをいいます。このなかにそば粉と小麦粉とを一定の割合で混合した粉を入れておいたので、木鉢下というと、この混合粉を指すようになりました。
一般に、生きている粉は、水分を吸収したり、吐き出したりして呼吸しています。この水分の吸収許容量がそば粉は小さく、小麦粉は大きい。この性質の違いを利用したのが木鉢下というわけです。
空気中の水分が増加して、そば粉が吸収しきれなくなったときは小麦粉が吸収し、逆に乾燥しすぎたときはそば粉が小麦粉の水分を吸収することによって、そば粉だけでおいておくよりも、鮮度のよい状態を長く保つことができます。
あらかじめ割り粉(つなぎ)と混ぜ合わせておくことにより、小麦粉がそば粉の水分や劣化を守ってくれますので、結果的にそば粉が長持ちする上、作業面でも効率が良いでしょう。
そば湯(そばゆ)
今では蕎麦を食べた後にほとんどの蕎麦屋さんで出てくるそば湯。食後に一口飲むと口の中に蕎麦の香りが広がり、食後の余韻が広がるそば湯ですが、一説には蕎麦を食べた後にそば湯をのむというのは、もともと信州の一部地方の習慣だったそうで、江戸時代の中頃までは一般的ではなかったみたいです。
そば湯は、蕎麦をゆでた時のゆで汁が濃くなりすぎた時に、本来は捨てていたらしいのですが、しかし蕎麦を茹でた湯には、蕎麦の蛋白質や澱粉が溶けていて栄養があります。そばはバランスのとれた栄養食。なかでもそば粉に含まれる植物性蛋白質はとても良質なことで知られます。
高血圧による血栓予防が効果があるルチン、またビタミン、ミネラルも多量に含まれています。しかしその栄養素も水に溶けやすくその半分近くがゆで汁に流れ出てしまいます。それを昔の人たちは生活の知恵として知り、そば湯を飲んだのが始まりとあります。美味しいそばを食べた後は、そば湯で健康をたっぷり味わいましょう。
蕎麦がき(そばがき)
蕎麦がき(蕎麦掻き)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒のつまみとするなど広く食されています。蕎麦切りのように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴となります。
蕎麦粉に湯を加えるか水に入れてから加熱し、箸などで手早く混ぜて粘りを出し、塊状にして食べます。調理方法としては、蕎麦粉に熱湯をかけて混ぜ、粘りがでた状態のものを食べる「椀がき」と、小鍋に蕎麦粉と水を合せコンロで加熱しながら練る「鍋がき」があります。
水を加えて加熱することで、蕎麦粉のでんぷんを糊化(アルファ化)させることにより、消化吸収がよく蕎麦の栄養を効率よくとることができるため、健康食としても見直されています。
そばの具・かやく
そばの名わき役「具」には揚げ物や添え物など色々あります。お連れ、添うものというのがもともとの意味でした。添えてものが揃うことを意味する言葉ですが、そばの場合になりますと、かけやそのほかのものに混ぜて、味を楽しませる種のことを指します。
江戸そばの具といえば、江戸前の大きな車海老を使った天ぷらそばをはじめ、具沢山で彩りもきれいなおかめ、ねぎを主材に魚や鶏を煮た南蛮そば、そして蒲焼きを丸ごとのせるあなごそばなどがあげられます。
関西方面では「かやく」とも呼ばれますが、この理由としては、加役、加薬、加薬の意味であると思われます。
あつもり
あつもりとはもりそばを温めたもので、熱湯に通してから出すことから「湯通し」ともいう。秋から冬にかけては、その年の新そばが出回り、香り高く美味しいそばの季節となります。そばとしてはシンプルにそばの味を楽しめる「ざる」が、最高であるけれども、寒い時期は暖かいものも喜ばれます。ざる用のつゆを徳利に入れて湯煎して熱くし、茹で上がったそばを、もう一度沸騰した湯にくぐらせ出来上がります。できあがったそばをざるそばのようにして食べます。
そば店の通し言葉では、普通のもりは「寒」(かん)、これに対して熱もりは「土用」(どよう)といいました。「かへさせ給へとあつ盛のそばを強ひ」の古川柳は、平敦盛とそばのあつ盛、返させ給えという呼び戻し文句とお代わりをそれぞれかけて詠んだものです。
蕎麦味噌(そばみそ)
蕎麦味噌は、読んで字のごとく、味噌を練ったものに、蕎麦の実などが入っているものです。蕎麦味噌にはいくつかのタイプがあるそうです。藪そば御三家のものは、甘口の江戸味噌と砂糖を練り上げたところへ、煎った抜きソバ(挽き割り)や白ゴマを混ぜ、さらにみりんや唐辛子粉を加えて練り合わせて作られるそうです。またそれ以外にも、京都の西京味噌をベースに、揚げたそば米などをアレンジした酒肴に適したそば味噌もあるそうです。
蕎麦屋ならではの酒の肴を一品挙げるとすれば、まずこの蕎麦味噌でしょう。ちょっと嘗めてはお酒をちびりと一杯いただく。いかにもゆったりと蕎麦を待つ風情にふさわしいおつまみではないでしょうか?
藪蕎麦(やぶそば)
江戸蕎麦の御三家といえば「藪」「砂場」「更科」です。ではその中の藪蕎麦とはいったいどんなお蕎麦なんでしょうか?発祥の店は本郷根津の団子坂にあった「つたや」と伝えられています。このつたやには広い庭があり、そこに竹藪が茂っていたことから、「藪」という愛称がついたといわれています。
藪蕎麦の特徴と言えば、やはり辛めの蕎麦つゆになります。これは藪蕎麦のお客さんに忙しい職人が多く、茹でたての麺に、ささっとつゆをつけて食べるために、考えだされたといわれております。そのため、蕎麦つゆにどっぷり麺を漬けてしまうと、かなり塩辛く感じてしまいます。箸で取り上げた蕎麦の端を、ちょいとつゆにつけて啜るくらいで、つゆの旨味と蕎麦の香りを感じることができるでしょう。
更科蕎麦(さらしなそば)
更科蕎麦の特徴と言えば、何といっても色白で高級感のある蕎麦の色です。更科蕎麦は「更科粉」別名「一番粉」と呼ばれる色白のソバ粉で作られます。このような蕎麦がいつ頃から存在していたのかは明らかになっていませんが、少なくとも1750年頃にはすでに存在していたと言われています。明治時代にはすでに「更科蕎麦=色白の蕎麦」のイメージが定着していたみたいです。更科蕎麦は「更科粉」と呼ばれる色白のソバ粉で作られます。
砂場蕎麦(すなばそば)
砂場の正確な成り立ちはわかっていませんが、その誕生は大阪城の築城に関係しているといわれます。大阪城が築城された年の翌年の1584年、
和泉屋という菓子屋が蕎麦屋を始めました。その場所が築城に使う砂を置いていた場所だったため、いつしか砂場(すなば)という愛称がつき、屋号として定着したそうです。砂場蕎麦の特徴としてまずあげられるのが、甘くて濃いめの蕎麦つゆです。甘くて濃い砂場の蕎麦つゆの特徴は、蕎麦湯を入れるとさらに引き立ちます。蕎麦を啜った後は、温かい蕎麦湯を楽しんでしめるのも砂場の醍醐味でしょう。
そば菓子(そばかし)
近世事物考という文献の中に、「そば、うどんは、寛文以後元禄の初までは、皆菓子屋にてあつらへしなり」という記述がありますが、その頃は菓子職人の年季を測るのにそば打ちをやらせたという説があるみたいで、直接そば粉を原料に用いた菓子は、昔からいろいろと作られていたみたいです。
一般にそば菓子としては、そば饅頭、蕎麦ぼうる、蕎麦板、そば煎餅などがあります。蕎麦ぼうるの製法は、玉子と砂糖を混ぜ、そば粉と小麦粉をふるい込んで、のばして梅の花の形にぬいて天火で焼いたものである。
また、同じ焼き菓子系の蕎麦板も京都の銘菓であり、これは、そば粉と小麦粉に砂糖、玉子、蜂蜜をねり合わせて、薄く延ばして長方形に切って焼き、表面に黒ゴマをふりかけてつくります。
蒸し菓子系のそば饅頭は、本来はそば粉と上新粉、山芋、砂糖などを混ぜて皮をつくり、餡を包み込んで蒸したものですが、これ以外にも挽茶を皮に加えた茶饅頭や、味噌の味をつけた田舎饅頭などもあります。
そば粉や玄そばを蒸して殻を取り除いたそば米を粉末にすれば、菓子に関してもいろいろなバリエーションが考えられますね。ちなみに、最近では、そばクッキー、そばプリン、そばアイスクリームなどもあります。
そば茶(そばちゃ)
そば茶(そばちゃ)とは、穀物のそばの実を原料として、脱皮、焙煎加工した茶系飲料の一種で、そば特有の独特の香味があります。そば茶の効能や効果をあげますと、高血圧、糖尿病、動脈硬化などといった、生活習慣病の予防や改善などが挙げられます。
ダッタンそば(韃靼蕎麦)を原材料にしたそば茶では、シミやソバカスを作り出す原因となるメラニン色素の生成を抑える作用を持った、シス・ウンベル酸という成分が含まれていることから、お肌の美肌・美白効果が期待できるとされています。
また、そば茶にはカフェインが含まれておらず、ノンカロリーなので、妊娠中の女性やダイエットに励んでいる人でも安心して飲めます
蕎麦の素材(そばについての知識集)
そばの実の構造
そばの実(からの付いたままの状態)を「玄そば」と呼びます。 玄そばの構造や成分を理解する事によって、そのような性質や特色を持ったそば粉になるのか理解を深めるためにも是非知っていただきたいと思います。
そばの実(玄そば)は外側から中心部に向かって、殻(外皮)→種皮(甘皮)→胚乳→胚芽という構造になっています。そばの色に影響する灰分や、麺としてつながる力となるたんぱく質が多く含まれているのは、胚芽や種皮(甘皮)であり、炭水化物が主体の胚乳にはそれらの成分はほとんど含まれておりません。そばの実(玄そば)のどの部分をどの程度使うのかによってそば粉の風味や色も違ってきます。
そばの実(玄そば)から殻を取り除いたもの(丸抜き)を製粉すると、外側からではなくまず中心部のほうから砕けて粉になっていきます。最初に挽き出されるのは、胚乳の中心部が砕けて粉になったものです。これがでんぷん質が主体の色の白い粉で「一番粉」になります。
「一番粉」を取った次に、胚乳の残りや胚芽の部分が砕けて粉になります。蕎麦らしい色や香りがあり、たんぱく質も若干含まれます。これが「二番粉」となります。さらに「三番粉」になると種皮(甘皮)の一部も挽き出されますので色も香りも濃く栄養価も高くなります。しかし繊維質が多くなるので、食感に特徴が出てきて好き嫌いが分かれるようです。このような取り分けをしない粉を「挽きぐるみ」と呼んでいます。
在来種(ざいらいしゅ)と改良品種(かいりょうひんしゅ)
日本の蕎麦は、昭和20年ぐらいを境に、在来種から改良品種へと変わっていったらしいそうです。そうした改良の理由は、栽培のしやすさや収穫量のためです。それ以前は、日本各地にその土地ごとに育てられてきた在来種がありました。
在来種とは、固有の土地に長い間栽培されてきた品種のことです。改良品種は、農業試験所で改良され、特別な名前がついた品種のことです。在来種の多くは栽培地の名を頭につけて呼ばれるものですが、蕎麦は稲や麦などの多くの作物が「自家受粉作物」であるのに対し、昆虫の力を借りた「他家受粉作物」であるため、品種としての均一な特性を維持することが難しい部分があります。
そばの花の構造と性質
そばの花は実は2種類存在します。それは長柱花と短柱花の2種類です。
長柱花とはめしべが長くおしべが短い。逆に短柱花とはめしべが短くおしべが長い花をいいます。これは同一種の植物中でも、その株によって構造が異なる植物学上では異型植物といわれるものであります。そばの場合ですと、長柱花と短柱花の比率はおよそ半々になります。よって、そば畑一面に広がるそばの花の半分は長柱花、残り半分は短柱花ということです。
花の構造の違いだけにとどまらず、結実するための受粉と大きな関係をもっています。通常の作物が1種で受粉を行って結実するのに対し、そばはこの2種を昆虫などによって受粉させる、「適法受粉」という方法でなければ結実できない仕組みになっています。
そばのような他家受粉は、その花粉の運搬を虫や風に頼ることになりますので、気候などによってその受粉率が大きく左右されます。さらに、結実するための受粉の組み合わせが限られるため、そばの受粉率はかなり悪いといえます。開花時に訪れる虫が少ない場合は、受粉しない、いわゆる「無駄花」が多くなり、収穫量に大きく影響します。
そばの栽培
そばは種をまいてから収穫までの期間が稲、麦などに比べ非常に短く、火山灰地や開墾地などの貧弱な土壌でも良く育つことから、飢饉に備えての栽培が奨励されてきました。
栽培時期には気温が深く関係してきます。まず、そば花粉の発芽適温は20℃以下が良いとされています。28℃を超えるとメシベの発育が悪くなり、不作の原因にもなるといわれております。
また、そばは霜に弱く、春まきでは発芽時期の晩霜に注意が必要であり、秋まきでは結実期の初霜に注意しなくてはなりません。以上の理由から、日照時間が長くなりはじめる初夏と、比較的温暖で冷涼な気候になる秋が栽培に適していると考えられております。
栽培期間は夏そばで70日~85日、秋そばで80日~90日くらいと多少の差異がありますが、これは種をまく時期によって開花までに要する日数の違いとされています。
夏(なつ)そばと秋(あき)そば
夏そばは、九州が4月上旬頃から北海道が6月下旬に種を撒き、九州では6月中句頃から、北海道でも8月中句には収穫が終わります。東京では暑い盛りに出まわることになりますが、地方によっては旧盆の振る舞いに間に合うようにと、日数を逆算して種をまいたものだともいわれております。夏そば、は日照時間が少ないためメシベが発育不全で、秋そばに比べますと色や香りがどうしても薄くなり、味も淡白なものになってしまいます。
秋そばは、北海道が7月上旬頃から九州が9月上旬に種を撒き、一番早く収穫されるのが北海道で9月中旬、九州では11月中句となります。夏そばに比べて、”秋そば”は味、色、香りともに優れています。一般的に「新そば」と呼ばれるのはこの収穫したばかりの秋そばのことをいいます。
石臼挽きとロール挽き
石臼挽き製粉によって製粉されたそば粉はなぜうまいのか?製粉方法によってどんな違いがあるのでしょうか?そば製粉の方法には、主に2種類あります。石臼挽きによる製粉と、ロール製粉(機械挽き)とがあります。ロール製粉とは細かい溝を切った2本の鋳鉄の筒を噛み合わせて回転させ、筒の間にそばの実(玄そば)を流し込み粉砕させながら粉にする製粉方法です。そば粉の仕上がりや質にこだわるのであれば、石臼挽き製粉の方に軍配が上がるといえます。そば粉は香りや風味がとりわけ大事だといえますが、製粉作業中でこれらの要素を損なわないようにする事が非常に重要であります。
ロール製粉と石臼挽き製粉ではどのような違いがあるのか・・・通常のロール製粉機の回転数は毎分数百回転で動きます。石臼挽きの場合は毎分15~25回転くらいが普通でしょう。あきらかにロール製粉の方が高速であり、そばの実(玄そば)に熱を与えていることがわかります。このことより、ロール製粉より石臼挽き製粉の方が、はるかに香りが飛びにくい(粉焼しにくい)製粉方法であることがわかります。
また、石臼挽き製粉は面と面によって挽きつぶしていきます。石臼で挽いた粉は、粒子が細かく仕上がるため食感も滑らかで打ちやすい粉に仕上がります。石臼挽き製粉は、昔ながらの手間隙かけた製粉方法でありますが、その手間をかけた分、香り高く粒子の細かい最高のそば粉に仕上がるということです。
そば粉の種類
抜きを軽く粗挽きしたときに割れて出る、胚乳の中心部を挽いてふるいにかけた粉が一番粉になります。内層粉ともいいます。これは色は白くでんぷん質が主体で少しホシはあり、そばらしい色や風味はありませんが、特有のほのかの甘味と香りがあります。しかし、たんぱく質が少ないため粘りが少なく、麺を打つにはつなぎが必要です。
一番粉をとったあと、さらに挽砕を続けて製粉されたのが二番粉になります。中層粉ともいう。香りや味に優れており一番粉より上とされている。そば粉の色は淡色緑黄色で、ソバの栄養素や香味成分に富んでいます。
三番粉は一・二番粉の挽砕を経た製粉で、二番粉と同じ香味や栄養素など多く含まれています。そば本体の香りは一番優れています。ただ、甘皮まで挽き込んでいるため繊維質が多く含まれているので、食感は一・二番粉に比べて劣ります。表層粉ともいう。
三番粉を挽いた残りがすえこ(末粉)になります。四番粉ともいいます。皮に近い部分で、外皮すれすれまで挽き込んだ黒く粗い粉で、たんぱく質と繊維質が多く含まれています。香りは一番高いが、舌ざわりはよくありません。さなごともいいます。
玄ソバの外皮(黒い殻)をつけたままで、全種子を丸ごと製粉したものを挽きぐるみといいます。石臼などで挽き、それをふるいにかけて殻を取り除く製粉の方法です。全層粉や全粒粉ともいいます。
そばの栄養素
そばは栄養のバランスがとれたスローフード 日本最古の医学書「医心方」に、「そばは、五臓の汚れたカスを洗い流して、精と神をつなぐ。その葉を煮て、野菜として食することもできる。」とあり、昔よりその効用が謳われているようです。そばの主成分は、他の穀類(米や小麦等)と同様にデンプンですが、 その他にもたんぱく質や各種ビタミン、ミネラルなどを豊富に含んでいます。
〇たんぱく質の含有量
たんぱく質は生命の維持や成長に欠かせない物ですが、そばは他の穀物類より多くのたんぱく質を含んでおります。精白米やうどんと比べてもかなり多く、他の穀物類の中では一番多く含まれております。そして、何よりたんぱく質を構成しているアミノ酸のバランスがよい。穀物類の場合はアミノ酸の中にあるリジンの含有量が少ないが、そばには多く含まれています。〇ビタミンB1・B2で疲労回復
ビタミンB1は炭水化物をエネルギーにかえるために欠かせません。脳の働きを活発にするのにも役立っています。これらのビタミンが不足しますと、イライラや体力の低下や食欲不振の原因になります。ビタミンB2は多くの栄養素の代謝に関係しています。また体の成長、発育に重要なビタミンでもあります。皮膚や粘膜を正常に保ち、肌・爪・髪の発育や体全体の抵抗力を強める働きを持っています。〇その他のビタミンもいっぱい
そばにはビタミンB1、B2以外にも、健康を維持していくために必要なビタミンがたくさん含まれています。ビタミンEは老化から守り、皮膚の強化、若返りに役立ちます。パントテン酸というビタミンは、ホルモンの合成に役立ち、疲労回復や炎症を和らげます。胃痛や頭痛、胃潰瘍、ガン、脳出血などの予防や免疫力の向上にも効果的。ナイアシンは血管の壁を強化し、過剰な飲酒による胃壁の荒れを防ぐ働きがあり、その他にも皮膚の活性化にも良いです。動脈硬化を防ぐリノール酸なども含まれています。そばほどビタミンが豊富な穀物類はありません。〇酵素の役割
そばには体内での消化を促進させる酵素を多く含んでおり、たんぱく質や脂肪を分解して消化を助けてくれますが、この酵素が多く含まれていることにより、小麦粉などに比べ保存性が悪いことの原因となっています。そのため、そば粉は保存状態や保存温度に非常に注意しなくてはならなく、挽きたてのそば粉はなるだけ早めに使われるのをお薦めします。そばは体を守ってくれる
〇生活習慣病を防ぐ
そばが高血圧に良いということは、昔からいわれてきておりますが、これはそばに含まれているルチンの働きにあります。ルチン(ポリフェノールの一種)には、毛細血管の強化と保護や血流の改善のほかにも、糖尿病・動脈硬化・脳梗塞などの生活習慣病の予防に効果を表します。ただし、ルチンは水溶性のため、そばを茹でると茹で汁の中に流れ出てしまいます。そのため、お蕎麦を食した後にそば湯をいただくのが最適といえます。※ルチンには天然ルチンと人工ルチンがあり水溶性なのは人工ルチンで、天然ルチンは水溶性ではないとの事でした。ルチンを摂取するにはお蕎麦自体でしっかり摂取しましょう。でも蕎麦湯にはビタミンB1やB2などが含まれていますので、蕎麦湯を飲むのもまた良しです。〇肝臓を守る
そばは、酒飲みの害を少なくする食物として昔から知られておりますが、その理由はそばに含まれるコリンにあるといわれています。コリンには肝臓を保護し、お酒を飲む際に肝臓に脂肪がたまるのを防ぐ働きがあるので、脂肪肝・肝硬変の予防に効果を発揮します。昔の人が、お酒を飲んだ後にそばを食べていたのも、実に理にかなったことといえます。これを知ると粋なお蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦とお酒をいただきたくなってしまいますね。また、コリンには尿中に食塩の排出を促進する働きも持っており、高血圧の予防にも効果があります。
その他にも自立神経失調症の予防に効果的なアセチールコリンを作る原料となります。〇豊富な食物繊維
そばには4~7%の食物繊維が含まれていており、これは小麦粉の約2倍、白米の8倍以上と、他の穀物類の中でも最も多く含まれています。よく知られますように、食物繊維は便秘の予防や解消に効果があります。このことからダイエットや美肌にも良いといえます。そばの活用法
健康の知恵(そばの活用法) 昔は、毎日の食べ物で体の具合を整え、痛みや腫れなどを治し、健康を維持してきたものであります。多少からだの調子をくずしたり、具合が悪くなってもすぐに病院に行ったり、すぐ薬を飲むようなことはありませんでした。しかも、即効性のあるものを、治るまで飲み続けることも無かったのではないでしょうか?「医食同源」あるいは「薬食同源」という言葉があります。医や薬に勝るのは身近な食であることを教えた言葉であります。そのことは、そばにおいても同様のことが言えます。症状例によるそばの活用法を一部抜粋したいと思います。
便秘
そば粉を水で溶いて毎日常食すると、便秘に効果的です。胃腸の汚れをとる 腸にたまった老廃物を除去する働きがありますので、週に何度かそばを食べるのが良いでしょう。腹痛
そば粉を熱湯でよく練り、そばがきにして食べる。刻みねぎやおろししょうがなどの薬味を加えると良いでしょう。腰痛
そば粉を酒で溶いて患部に貼る。乾いたら貼り替えます。打ち粉(花粉)(うちこ・はなこ)
そばを打つ時に重ねた生地どうしがくっ付かないようにするために使用するのが打ち粉です。打ち粉と呼ばずに、花粉と呼ぶこともありますが、基本的には同じものを表します。
更科粉より、さらに粒子が細かくサラサラとしているのが特長です。色合いも更科粉の上をいく白さです。延し板に打ち粉を振ることで生地がくっ付くのを防ぎます。生地の表面に切った後のそばがくっ付かないようにするために、畳みの段階ではたっぷりと打ち粉をふります。しかし、打ち粉は生地を乾燥させてしまうため、生地を練る段階や延ばす段階では、打ち粉をふる量は出来るだけ少なくするのがコツです。
打ち粉はそばを延ばす際、その一部が中に打ち込まれ、そばを切る際にはそば湯に溶け出します。そのため、でんぷん質の豊富な粉を打ち粉として利用するのです。おいしいそば湯をいただくためにも、良質な打ち粉を欠かすことは出来ません。
つなぎ粉(つなぎこ)
そば粉の持つ味と香りを最大限保ちながら麺としてつなぐため必要なつなぎですが、現在では、代表的なつなぎとして使われる小麦粉の働きをみると、小麦粉にはグルテニンとグリアジンという二つのたんぱく質が含まれていて、これが水と結合するとグルテンを形成して互いにつながりあうという特性を持っています。
つなぎとは、このつながりあうという特性を利用したものであり、つなぎ(小麦粉)の量が多くなると、たんぱく質の量も増えますので、もちろんグルテンの量も多くなり、そのためつながる力も増えることになります。そば粉のたんぱく質はグルテンを作らないため、つなぎ役として小麦粉(割り粉)を混ぜるわけです。
つなぎとして使われる小麦粉は、その含まれるたんぱく質の量により分別され、薄力粉、中力粉、強力粉というように分けられます。そば打ち用には中力粉あるいは強力粉が使用されることが多いようです。コシの強さを求めて強力粉を使用する人もいますが、蕎麦屋さんでは基本的には中力粉を使用されているところが多いようです。
割粉(つなぎ粉)も蕎麦のうち」といわれるように、つなぎとしての小麦粉選びもそば打ちのこだわりの一つとなりますね。
薬味の効能
本来、「やくみ」とは、漢字で「薬味」と書くように、薬としての効能と、蕎麦の味の引き立て役としての働きを持ち合わせています。薬味の多くは、露払い的に口の中をさっぱりさせて、蕎麦を美味しく感じさせたり、あるいは口直し的に、口の中に残る蕎麦と汁の味をいったん消して、最後まで飽きずに蕎麦を楽しませてくれるといった働き方をします。それに対して、種類は限られてきますが、蕎麦そのものの味をよくするという、文字どうり味の引き立て役として働く薬味もあります。
ねぎ
ねぎの香りと辛味は、ほどよい程度のものであって、口中を快く刺激して食欲をうながします。硫化アリル(アイシン)が、そばに多く含まれるビタミンB1の吸収を良くし、無駄なく摂取できるように働きます。そばの効能と合わせて、疲労回復や冷え性、強肝作用などがネギによって高められます。また、体を温め、内蔵の働きを盛んにし、血液の循環を良くする効果を持ちます。わさび
そばに含まれているビタミンB2の吸収を助ける働きがあります。また、強い殺菌作用があることは、昔から知られています。何より、ツンとした香りがそばやつゆの味をリフレッシュさせ、食欲を増進させます。そばを二・三口と食べたら、箸の先にわさびをちょっとつけて舌にのせる。そして、舌の上に残る汁やそばの味を一旦わさびの香りでいったん消します。それからまた新たにそばを味わいます。そばを食べている合間にわさびを使うことで、いわば舌を洗った状態にして食べ続けることができますので、そばを最後まで飽きずにそばを堪能できるのです。だいこん
大根には消化酵素ジアスターゼが多量に含まれており、ジアスターゼが消化を助けます。ビタミンPは血管を強め、高血圧や脳出血を防ぐ作用があります。また、ビタミンCはそばのルチンの効果を高めますので、中高年や高血圧症の方にはおすすめの薬味といえます。ダイコンおろしをかけたお蕎麦で全国的に有名なのは、福井県に伝わる「越前おろしそば」が有名ですね。七味唐辛子
唐辛子・胡麻・麻の実・けしの実・山椒・陳皮または陳皮ゆず・青海苔などを粉末にして混ぜたもの。でこうして名をあげてみれば分かるように、いずれも香りのよい材料が混ぜ合わされています。1番多く含まれている唐辛子は、古来より健胃剤として重宝されてきました。強い辛味が胃袋を刺激して、食欲を盛んにします。また、ビタミンAは血行を良くし、体を温める効果を持っています。