二八そば(にはちそば)

現在でも当たり前のように使われる二八そばという言葉は、はるかはるか昔の江戸時代に出現したらしいのですが、その江戸時代にはすでに二八そばの語源が分らなくなってしまったらしいです。それ以降、現在に至るまでいまだに結論が出ていないというなんとも不思議な言葉です。江戸時代から現在に至るまでに議論されてきた語源説をみると、

①「掛け算の九九から十六文価格説」
②「そば粉の配合割合説」などが上げられ、いずれの説もも単純な分かりやすい説明になっております。

①「掛け算の九九から十六文価格説」十六文のそばを二八(ニハチ)と洒落た九九説ですが、それ自体にかなり説得力があってわかりやすいのですが、そばの値段が十六文であったのは江戸の後期の70年から80年間だけだったようです。それ以前の六文とか八文や十二文など等の物価と共に移り変わっていくことを考えると、その時間経過の中で出現してきた言葉の説明には少しばかり無理があるように感じます。

②「そば粉の配合割合説」そば粉の配合割合説について考えてみますと、この時代において日常の食べ物などを調合する過程で、経験や勘による大まかな配合が優先されていた時代だったらしく、粉の分量や配合などはかなり大まかだったらしいです。また二八そばだけでなく二六そばも出現しているようです。そして小麦粉と食塩水だけが原料のうどんでも二八うどん・二六うどんなどがあって、配合比率ではとても説明することのできない矛盾が発生してしまいます。現在ではそば粉8割につなぎ2割の配合によるそばは「そばの黄金の配合比率」といわれており、つなぎ粉を2割加えることでそば本来の風味を保ちつつ、しかものど越しのよいそばに仕上げることができるために当たり前のように使われている言葉ですね。

このように二八そばの語源についてはこれらいずれの説をもってしても、納得のいく説明にはなり得ないみたいですね。しかもそれ以外でも説得力のある説は現在まで見つかってもいないみたいです。